なぜ鉄道が好きになったのか。

理由はいくつかあるんです。

 

 一つ目は、最初に就職したところで、出張旅費の計算をする仕事をしていたこと。研修で、実際時刻表を使って計算方法や時刻表の見方を確認したり、資料を見ながら勉強したり。そのときに得た知識の中にはこんなものがありました。「経路が重複しなければ、出発地と目的地が同じ乗車券が買える。」「途中下車ができる。」最初はこんなことも知らなかったんです。

 初めて途中下車をしたのは、友人と千葉に遊びに行ったときです。長野から木更津までの乗車券(経由地は、新幹線・京葉線・外房線・内房線だったと思います)で、新幹線で東京に来た後京葉線・外房線で安房鴨川まで行き、鴨川シーワールドで遊んだ後は館山で宿泊。翌日は木更津まで行き、そこからはバスでアクアラインを通って川崎に出ました。今思うと、記念にそのときの乗車券もらってくればよかったと…。

 出発地と目的地が同じ切符というのは、大阪と青森を結んでいた特急白鳥の最終日に、直江津に見に行ったときに初めて買いました。経路は信越線・北陸本線・大糸線・篠ノ井線・信越線で、安茂里から安茂里まで。直江津で上下とも見送るつもりが、やっぱり乗りたくなって、大阪行きに乗って糸魚川まで行ってしまいました。おかげで青森行きは途中ですれ違っただけになっちゃいました。

 そのあとは、東京や大阪に行くときに何度も長野から一周して長野に戻る切符を買いまして、窓口の人に苦労かけました。一周しなくても、名古屋から東京経由で長野まで買って都内で途中下車したり、いろいろやってます。結婚してからは、乗り鉄するときはフリー切符が多いですけど。

 

 二つ目は、音楽のコーナーにもちょっと書きましたが、ロックバンドの追っかけで全国旅したこと。日程が発表された時点で、とりあえず全部の会場までの行き方を調べました。特急や新幹線を使わずにどこまで行けるかとか、どう乗りついだらいいのかとか。たとえば静岡だったら、東京経由と名古屋経由どっちがいいだろうとか。山梨だったら電車より車で行ったほうがよさそうだわ…なんていうのもありましたけど。結局行けたのは半分くらいでしたが、行けなかった分のメモがあとから出てきて、自分で見て笑っちゃいましたけど。

 

 三つ目は、スーパーベルズのファンと知り合いになったら、そのほとんどが鉄道ファンだったので影響されたこと。これが一番大きいかも。みなさんすごいんですもん。鉄道イベント(駅での車両展示とか)があったりすると、ダッシュで会場に入ってカメラ構えて写真撮ったりなんかしてて。必ず時刻表持ってたり。でもその頃は、まさか自分が同じようなことをするようになるとは思ってませんでしたが。

 

 しかし、いろいろ思い出してみると、ずいぶん小さいときから興味はあったみたいです。小学校に入る前まで飯山線の沿線に住んでいたのですが、最寄り駅が簡易委託駅でして、決まった時間しか切符売ってる人がいないんです。そんなこともあって、切符をもらって帰って集めたり、車掌さんが車内で白い紙にカチカチっと穴あけてるのを見たりして、「かっこいいなぁ」なんて思ったりしてました。あと、子供の目線だと、車体に書いてある「クモハ」だとか「キハ」だとか、意味がわからないカタカナと数字が目に入るんです。何だろう?と思いながらも、誰にも聞けません。でもなぜか、そういうのは気にしてました。

 あと、母の実家が信越線の沿線でして、家のすぐ裏が線路なんです。しかも、車は通れないけど警報機がついている踏切がありまして、警報機の音がすると「上りか?下りか?」なんて言いながら窓から電車見てました。どんな列車が通過して行ったのかは覚えてませんけど。

 私が小学校に入るときに引っ越してしまい、それ以降は鉄道とほとんどかかわりのない生活を送っておりました。が、父と母に連れられて別所温泉に行ったときの記憶がかすかにありますわ。別所線(上田交通)の当時の車両、何となく覚えてます。写真があったら「懐かしい!」と思うんでしょうけど、そういう写真は家にはないですね…。そのとき行ったお寺とかの写真しか撮ってないはずです。

 中学生くらいの頃、信越線をSLが走るっていうんで、みんなで母の実家まで見に行きました。母が一番見たがっていたのですが、写真撮ったり乗客に手を振ったりして楽しんでました。その時の写真が実家に残ってて、それを見て今一番興奮してるのは私だったりするのですが。

 

 そんなわけで、あのまま飯山線沿線で育つか、または母の実家で育っていたら、間違いなく今以上に鉄な人間になっていたような気がします。でも恐ろしいのでそれ以上は想像しないようにしますわ(汗)

 

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